ivataxiの日記

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生痕化石

生痕化石とは、古代生物の生活の痕(足跡、窄孔、糞石など)が、地層中に残されたもので、失われた生物の古生態を具体的に示しています。
この生痕化石は、昭和42年3月、鳳来寺山自然科学博物館から約200m川をさかのぼった、すずり石原石採取場で発見されました。
今から焼く1700万年前、このあたりが干潟だった時代があり、ここを歩いたり、はったりした動物の足跡が化石となりました。(鳳来寺山資料より)

大野層堆積期

大野層堆積期になると、海は急激に深くなり、海岸線もより陸域へと後退していきました。
北から西部(田口や清崎付近)では、礫質な海底にはカミオカニシキガイ群集が生息し、沖合いにはシラトリガイ-ツキガイモドキ群集、さらに沖合いの泥底にはシミゾメソデガイ-シワロウバイガイ群集が生息していました。
東部(本郷や御薗付近)では、シラトリガイ-ツキガイモドキグウ集からスミゾメソデガイ-シワロウバイガイ群集に変化していきました。(鳳来寺山資料より)

長篠層堆積期

長篠層堆積期には、新城市付近は、最初河口あたりでしたが、その後、海が侵入し、西部の長篠付近には内湾の潮間帯が広がりました。礎や砂からなる海底には、カキ群集やカガミガイ群集が生息していました。中央部から東部(浦川付近)では、10mより深い海底にカミオニシキガイなどが生息していました。(鳳来寺山資料より)

くろぜ 石

火山灰の混じった均質な砂岩は、柔らかく粘り強いため加工しやすく、ひき臼や石臼、鳳来寺の賛同や東照宮の石段、石灯籠、石仏や石像の石材として幅広く使われ、地元の人々の生活に密着していました。
鳳来寺山東照宮には特に質の良い部分で作られた立派な石灯籠があります。地域で広く使われてきましたが、風化に弱く壊れやすいため、近年では花崗岩などが用いられるようになり、今では採掘されておらず、ほとんど使われていません。
鳳来寺山資料より)

土壌を選ぶ

植物は土壌の中に保ち、常に安定しています。また土壌から水分。養分を吸収して生育することから土壌は植物にとっては重大な環境の一つです。
土壌は岩石の風化によってできる小さな粒子が堆積してできたものです。粒子と粒子の間に隙間があり、そこに水と空気を蓄えています。隙間が少なく、水分・空気の流通が悪い時は、植物の生育を妨げ、良い環境とはいえません。このような土壌のしくみを知ることは、永年性の果実や、杉・桧を植える上に大事なことです。
鳳来寺山・資料・看板より)

三河白(砥)

江戸時代から日本刀の刀を研ぐための優秀な砥石として有名で人気があり、かつ高価でした。約1500万年前の火山活動で噴出した火山灰が湖に堆積してできた凝灰岩です。三河白は、火山灰が水の中を沈むときに粒子の大きさが分けられて均等な層を作り、12の層が砥石として利用されました。そのうちのコマと呼ばれる層の部分が最高とされています。
鳳来湖の北、標高600mの椎代官林で採掘されたものを三河白(砥)又は名倉砥と呼んでいます。高さ1mばかりの四角い坑道に背をかがめて入り、たがねで層を掘り出します。体に大変負担を強いる作業であることを知ると、決して高価な物ではないことがわかります。
しかし、天然の砥石の需要が減ったことや、採掘する人がいなくなったため、今では廃坑になっています。
鳳来寺山・資料・看板より)