ivataxiの日記

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アッサム

神奈川の大学に入る半年前から暮らしていた参宮橋のアパートには、場所柄だからか東京

の友人が時折訪ねて来た。一学期には東京の自宅から通う同級生の溜まり場になって始終

にぎやかであったが、二学期には大学近くの生徒の家がたまり場となって、ぼくのアパー

トを訪れる人は減った。そんな頃、A君という同じ学科の男子が、一時遊びに来ていた。彼

は、山手沿線の北の方の人だった。商店街のにぎやかな立地の中に彼の家はあり、鉄筋コ

クリート造りの三階建ての自宅は、知らなければアパートと思ってしまうだろう。三階

の彼の部屋は、お兄さんと二人で使っている。お兄さんのベッドは畳でできていた。70年

代だったから面白いと思えた。彼は先生についてクラッシックギターを習っていたようだ

。一度、ガットギターで「禁じられた遊び」を弾いてくれたが、プロ級だと思った。お互

いデザインを専攻していたのだけれど、彼ならギターでも食べて行けそうだった。彼の家

には「電子レンジ」があった。当時、オーブントースターはあっても電子レンジを置いて

いる家

はあまりなかった。今なら一家に何台あっても驚かないだろう。でも当時のぼくには自宅

にヘリコプターがあるのを見せられた位の驚きであった。「電子レンジって、もとはアメ

リカ軍が開発した『中性子爆弾』の平和利用らしいよ。中性子爆弾って知ってる?敵がコ

クリートの中に隠れてても、中性子をコンクリートに通過させて、中の人間だけを殺せ

るっていう兵器なんだよ。だけど、あんまり悲惨なので使わなかったんだってさ」と彼は

、すんなりして少し上を向いた小さい鼻の甘さのある横顔で、楽しいことを話すみたいに

そんなことをいった。ぼくは、中性子爆弾と電子レンジと肉まんと人間がホカホカ温まっ

ているという関係図が、頭の中にうまく描けないままでいた。肉まんも人間も同じように

温めてしまう電子レンジと中性子爆弾という機械の間にある、一見無関係にも見えながら

因果関係の膨大な紆余曲折の後のつながりについて、おっとりした小さなぼくの頭脳を必

死に駆使してつなげようと試みてもみた。でも、おなかのすいた若者にとっては、早く肉

まんがおいしく温ま

れば良いのではないかとも思えた。「それでね、まことちゃん。初めの頃の電子レンジっ

てね。ドアを開けたままでも温めることができたんだってさ。でもね、ふざけて手とか足

を入れたままボタンを押した人がいたらしいんだよ。それで危ないからドアを閉めないと

ボタンが押せないように改良されたらしいんだ。でも、これって本当に便利だよ」という

。彼がぼくを「まことちゃん」と呼ぶのは、節約のため自分で前髪をハサミで横真一文字

に切る髪型、いわゆる「おかっぱ頭」をしていたぼくを、同じ学科の誰かが、梅図かずお

氏の漫画の主人公である「まことちゃん」に似ていると指摘したからなのである。確かに

、お店で食べるみたいに柔らかくて温かい肉まんであった。ぼくの四畳半のアパートには

オーブントースターがあったが冷蔵庫はなかった。テレビは白黒である。だから電子レン

ジがなくたって不思議ではなかった。それに、その便利さというものにまだ毒されていな

かったから、なくてもまったく問題なかった。「まことちゃん。ぼくがおごるからさ」と

、連れて行ってくれ

たお店が「アッサム」という紅茶専門店であった。多分、青山あたりのお店ではなかった

かとも思うのだが良くわからない。半地下・中二階の変わった造りの店舗であった。半地

下にある喫茶スペースは天井までガラスで明かり採りがされていた。それでもほの暗いの

で、昼間でもそれぞれのテーブルの少し上にはタングステンの灯りがあった。「ジャスミ

ンなんか飲んだことある?」と聞くと、勝手に注文してしまった。飲むとバスクリンの湯

船を飲んだような気にもなったが。「こういうのってちょっと通な感じで良いよね」とい

うものだから、そんな気分にもなった。彼は、この夏休み中、赤坂あたりの国際ホテルで

ウェイターのバイトをしていたのだという。彼は学科ができる人で、英語も堪能のようだ

った。「英語が話せるとさ、時給が上がるんだ。夏休みは結構稼いだよ」というので、お

ごってもらってもバチは当たらないような気もした。その後間もなく、彼は大学を中退し

アメリカに渡った。この時すでにこんなことが伏線になっていたのかも知れないと、ず

いぶん後になって思

うようになった。紅茶専門店に入ったのは後にも先にもそれが最初で最後のことである。

ぼくはその後の人生において、どの喫茶店に入っても「ホット」としかいわないような無

粋な男の一人なのである。