ivataxiの日記

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ゴジラ浜名湖

ここ数年というもの、何度か懐かしの日本への上陸を試みたのだが、瀬戸内海では「阪神淡路大震災」、日本海東京湾では「重油流出事故」のために、彼は日本への上陸を見合わせていたのである。すでに壊滅してしまった都市では壊し甲斐がないし、顔や体が油にまみれるのも、彼の趣味には合わないことであったのである。彼は綺麗好きで、目立ちたがり屋である。彼が「夏の遠州灘」を今回の上陸地に決めたのは、水あが暖かくて綺麗である点と、太平洋から浜名湖に通じる海水の通路が、浅いという点が気に入ったからである。長く続いている砂丘を海亀たちが産卵の場所に選ぶ気持ちも、爬虫類の血を引く彼にはわかる気がしていた。海面に、目から上を出して進む彼の姿を不信に思う船もなかった。夜の海を楽しむ、変わった形のモーターボートのように思われたのかもしれない。海岸には彼のすぐ近くまで、水飲み場に現われた小動物のような動きで、レジャービーグルたちがライトをゆらめかせて、ゆっくりと動いている。遠くの街の灯りは、湿ったモヤのスクリーンに、様々な色を映していた。浜名湖が海とつながったのは、今から五百年ほど昔のことらしい。地震による大津波の後で、海と湖を隔てていた陸地が切れてつながった。その場所は「今切れた」から、「今切れ」とよばれているのである。ゆるやかなカーブを描いた橋が、そこには掛けられている。遠目からも大きな橋であることはわかった。その橋は、有料のバイパスなのだが、多くの人は高速道路と思い込んでいると思うのである。橋の頂上付近に向かって、アクセルを全開にして、料金所からのスピードを競い合っているようでもある。橋の最も高い辺りから、下界を見降ろすと陸地側は、まばらではあるが、ダイヤのようなキラキラをちりばめたように、街の灯りが見える。逆側は太平洋なのだが、こちらは夜空の下に、暗く重たい液体が見えるだけなのである。彼が陸地に近づく毎に目線が徐々に上がって行った。浅瀬になっているからなのだろう。橋にさしかかった時には、頭が橋の上にのぞいて見えたのである。橋の上から、大きな赤い目が現われたことと、何人かのドライバーは気付いたのだが、彼らは一様に「テレビの撮影かな?」というくらいにしか感じていなかったようだ。「何だってゴジラがこんな所にいるんだ?」一人の男がつぶやいただけだった。ゴジラとどうしてわかるのかといえば、まさに「円谷プロのあのゴジラ」そのものの形をしていたからにすぎないのである。ゴジラは、橋の頂上を頭突きで砕いて、頭一つが通れる空間を作り出した。彼は平然とそこを通過すると、さらに陸地へと向かって行ったのである。彼が通る時に「カンシャク玉を投げたように、両方向から何台かの車がぶつかって爆発していた。彼が通った後は、ヘッドライトの美しい放物線が、暗い海に落ちて消えて行った。バケツの水の中に「ジュッ」と音をたてて落ちる、線香花火の最後の火の玉のようでもあった。弁天島温泉の一帯は、この夏もにぎわっている。地元の人、観光客、夏休みとお盆の重なったラッシュの車の人々などである。観光ホテルの一帯で、夏の海を見る人、コンビニやバーガーショップの駐車場にも、車の中で海を見ながら、会話と音楽と飲食を楽しむ人も多いのである。恋人たちは、愛の環境を最高に整えて、これからのより深い夜へと意気を高めているのかも知れない。海側に隣の車とある程度の間隔を開けて駐車すれば、そこはちょっとした「愛の空間」となる。渋滞の一号線は、車同志くっついているようで、すぐ前の車の排気ガスの匂いを嗅いでいるようにも見える。ノロノロとスモールライトを灯して、排気ガスをはきながら、上下にすれ違う大きな二匹のムカデのようである。鼻に指を突っ込んで、いつまでもハナクソを掘っている人、会話やラジオに聞き入っている人、トイレをガマンしている人などもいるのである。車という、動く小さな部屋の中で、様々なドラマが散りばめられている。今切れと弁天島温泉の中間には、朱く塗られた鳥居が、水上に立っている。夏の夜空の濃い青をバックにして、真紅の鳥居は強力にライトアップされていた。大きな影が近づいて来て、急に暗幕が降ろされた舞台の上の俳優のように、鳥居は大きな彼の足の下に一瞬で消えてしまったのである。そのあとで、夜空にゴジラの姿が下からライトアップされて、浮かび上がっていたのである。「観光協会の、夏の特別企画」だと、多くの人が思っていた。「この、突然出現した本物のゴジラを見ても、逃げる人はなく、クラクションをリズミカルに鳴らす人、花火でこたえる子どもたち、どさくさにキスを決めるカップル、指笛を鳴らす若者などが、この懐柔の出現を喜んで歓迎しているようであった。巨大な爬虫類の冷たい血を持つ彼には、人間の都合など無関係であった。新幹線と在来線が交差する瞬間、彼はワニの鋭さを持つ歯を見せて、口を半開きにした。彼の中に封印されていた放射能の火炎が、紫色に光りながら、彼の視線のあたりに火を放っていたのである。二本の速度の違う車輛が、上下方向に走る光る帯となって遠ざかって行った。紫の火炎は、渋滞中の車の群れにも火を着けていた。くっつき合う車たちは、ダイナマイトの導火線が、時々大きく燃えるように、ゆっくり引火して、炎を伝染させていた。「きっとどこかでカメラが回っているのだろう」くらいに考えているのか、逃げる人はなくいつもの平凡な夏の日のように行動する人々であった。また、すぐ横の人が死ぬことさえ、関心がないようにも見えたのである。ゴジラは陸地に足を乗せた。東の空にそびえる、大きな建物に挑むような目を向けて、まっすぐその建物に彼は向かっているようであった。人も車も、彼の足に踏まれるままになっていた。空から見ると、彼が街を破壊しながら通った跡は、キラキラと光って巨大なナメクジがはった跡のようであった。彼の足をまぬがれたとしても、後ろに引きずっている尻尾で、結局は皆なぎ払われてしまっていた。下手くそにほうきではいたみたいに、街は燃えていた。彼が浜松にたどり着くのに、そう時間はかからなかった。今夜も街は華やいでいた。大金をアルコールに替えて体内に注ぐ酔い客の群れと、それを形ばかりだが店の前に出て見送る女たちの姿が、あちこちにあった。タクシーは客待ちにゆっくりと路地につながっている。緩やかなドブの淀みのようである。地響きが近づいて来た。ビルの形に切り取られた夜空から、ゴジラの足がゆっくりと踏み降ろされてゆく。その足の下に取り残された酔い客は、さっき店で出されたスルメ のようになっていた。生木を火にくべた時のように、時々、破裂音をさせて、タクシーたちは路地の形に黒い灰を伸ばすヘビ花火のようになっていた。安全な場所に、真っ先に逃げて行ったのが、カモシカに似た足を持った女たちであるのは言うまでもない。酔い客は、シャンプーをかけられた風呂場のゴキブリのように、無軌道に逃げるだけであった。勢いあまって駅前のバスターミナルのくぼみに足をとられ、ゴジラは足首を捻挫していまったのである。すぐ横の温室にも見えるガラスの建物に尻餅をついてしまった。彼は、しばらく痛みが去るのを待っているように見えた。チョウのリンプンのように、割れたガラスの破片が、平等に人々に降り注いで傷つけて行った。何かに怒りをぶちまけようとした彼は、竹を斜めに切った形のビルを引き抜くと、ひときわ大きなコブラが鎌首を持たげた形のビルに向かって、やり投げのように投げつけていた。中程の幅広くなったあたりに、ヤリのようにささって、竹の形のビルは止まった。中の人たちは、天井に押しつけられていた。コブラの形をしたビルは、意外に頑丈でビクともしていなかったのである。ゴジラは足を引きずりながら、その建物に近づいて行った。彼の目の高さには、平然と食事やお酒を楽しむ人々の笑顔があったのである。彼が近づいて来たのを、ようやく気付いた人たちは、一斉にゴジラを見ようと、ビルの一面に集まって来た。だが彼を見ると、すぐに客たちはビルの反対側に移動してしまったのである。「オレに恐れをなしたな」と有頂天になったゴジラは、すぐに上空にゆっくりと回転して留まっている、巨大UFOの群れに気付き肩を落として、もと来た道を帰りはじめたのだ。弁天島から海に消えたゴジラは、いったいどこへ行くのだろう。きっともっと彼に驚いてくれそうな、太平洋の彼方の「アメリカ合衆国」に向かっているにかも知れないと思うのである。彼が、本当に求めるのは、破壊ではなく注目なのであった。「無防備で無関心で、ゴジラにも驚かなくなってしまった現在の日本という国は、いったいどうなって行くのだろう」と、日本生まれのゴジラは少し心配にも思うのである。