ivataxiの日記

絵 文章 映画

ゴミの日

ごみの日ぼくが住んでいるこの辺りでは、月・水・木曜日は誰が何といおうとごみの日なのである。土日は週末だから考えに入れないとしてもウイークデーが五日あり、そのうちの半分以上がごみの日だということになる。駅前の立地からスーパーマーケット近くに店を移した当初は、仕入れ先のメーカー名が入った段ボール箱にそのまま雑多なごみを入れて出していた。メーカー名が入っているのだからこの店のごみだということが周囲には嫌でも知れてしまう。近くの住人や店の大家さんなどが苦情を言いに来た。その後もごみのことで、あてこすりや嫌味・中傷などで精神攻撃が続くのである。店をやる以上、地域住民との摩擦は百害あって一利なしである。世間さまから色々教えてもらったり探したりして、段ボールや雑誌は受産所へ持って行くことにした。すると何らかの利益がその施設にもたらされると聞いたからである。大気汚染とかごみ処理場建設の関係とかで、次第にごみの出し方が厳しくなっている。有料の地域指定ごみ袋ではなく、もしもスーパーの袋や黒いビニール袋で出そうものならさあ大変。どこで見ているのか、監視役の住人がやって来くる。市の行政や市長あたりの権力の傘を着てどなり出す。ごみを出す時間だって微妙なのだ。前日の夜に出そうなんて甘いのである。まったくの独断だが、ごみ収集車が来る一時間前後というのが理想であろう。この地域一帯では、厳しいごみ出しの作法を徹底したためか、カラスやノラネコも飢えているらしい。早く出し過ぎた生ごみの袋はズタズタにされ、中を出して路上で食べられ散らかされてしまう。余談だが「燃やせないごみ・燃やせるごみ」から「燃」と「ごみ」の字を取ると「やせる・やせない」となり自分のことを噂されている時のような気持ちになるのはぼくだけであろうか。ある人から「俺は燃えないごみだがおまえは燃えるごみだなあ」と変な褒められ方をしたことがあったが、果たして喜んで良いのかどうかわからない。かつては月に一回、粗大ごみの日というのがあった。だが、いつのまにかなくなった。それに変わってリサイクル分別収集のプラスチックの箱がその場所に現われた。ペットボトル・発砲スチロール・プラスチック・缶に分けるのだがかなり面倒である。その近くの地べたには瓶を回収する為の様々な色をした小さなプラスチックのコンテナも置いてある。透明・茶色・その他の色に分ける。場合によって特定のコンテナは盛り上がるのである。ぼくは大きいごみ用の青いポリバケツにリサイクルごみを入れてママチャリの前のカゴに乗せて持って行く。瓶が路上に落ちた時など、割れたその破片を用心深く拾い集めることになる。だが、そういう時に限って見通しの悪い狭い路地の曲がり角だったりするのである。最初はただのごみ出しだったのが、いつの間にか命懸けの仕事になってしまっている。こう見えても繊細で神経質な所のある血液型A型のぼくである。ごみに無関係な火・金曜日には、朝から何だか手持ちぶさたで落ち着かないのである。文句は言っていても、実はぼくは既にごみの日を愛し初めているのかも知れないとも思えるのである。