ivataxiの日記

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イヤフォン文化

技術革新はヘッドフォンをどんどん小さくした。カセットテープの頃はエヴァイカリシンジ君は髪に隠れるイヤフォンだった。カセットテープの大きさに限りなく近い大きさのプレーヤーだ。もう15年程前のこと。少しするとCDを持ち歩くようになりCDのあの大きさが基準の持ち運び再生機・最盛期に変わる。その期間も短く「MDにあらずば人にあらず」(もとから人じゃないし)時代へと突入。「この時代が永遠不変です」という電気屋さんからカセットとCDのデッキからMD搭載にのデッキに変えさせられた。毎年壊れて数台購入・・持ち運びのMDプレーヤーも購入し、永遠安定政権樹立という確信に満ちた平和な時が過ぎるはずだった。それが5年程前のことで、MDを薦めた電気屋さんは大きくなりどんどん他店舗化して、他には潰れた所も多々あった。電気屋戦国時代なのであった。そこに織田信長的「ipod」「ipod・nano」「ipod・シャッフル」「iphone」「ipad」などのmac陣営が登場して、瞬間的に日本における音楽再生機器の世代交代を果たすことになるのだが、ここはテストに出るぞ。iphone以降、通信の世界・動画・ネットの世界ともリンクすることになる。ソフトバンクの白い犬の頑張りもあり、乗り換えが増えた。最近ではAUでもiphoneipadが購入・契約できるようになりさらにmacの窓口は増える。あの白いコードのイヤフォンが「iphone使ってるんだからね!」という無言の先制攻撃的展開を若い世代を中心にチマタのイヤフォン文化を塗り替えた。それがここ数年。アンドロイドという携帯端末も出て、数はmacを凌駕した。両者合わせるとほぼ一人1台に近い。恐らく・小型・高性能・多機能に進化して本体は次第に目立たない大きさに落ち着くのではないだろうか?iphone4からiphone4Sへの以降は、ジョブズからそれ以降のceo(ティムクック以降)への以降とも重なる。ファンとしては大きな変化を期待したのではないだろうか?だが、形態には変化がほぼなかった。そういうガッカリ感はイナメナイ。だが「4S」は「for ジョブズ」とのダブルミーニング(最近覚えた2つの意味という言葉)で、彼の死の哀悼ともリンクして、悲報以降、ちょっとしたプレミア行動にも繋がるのだが・・。次回以降、ジョブズとの違いに関して、ファンは厳しいかも知れない。所で、この数年、イヤフォン時代は進化を止めていた。進化する必要がなかったのか、みんなが忘れていたのか?特に若い世代・音楽に自分の個性をパフォーマンスしたい人たちには少し変化がある。あえてイヤフォンを隠さず・すごく大きく目立つヘッドフォンをつけて歩きまわるのが目立つ・・いや、見ようとしなくても見えてしまう。聞くということに真剣であるということと、外界から自分の聴覚をシャットダウンさせるというダブルミーニング(嬉しくてまた使ってしまう)なのかもしれない。