ivataxiの日記

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大倉戸・松山・白須賀の海岸近くは、畳

かつて大津波でえぐり取られる前の遠州灘、大倉戸・松山・白須賀の海岸近くは、畳産業が盛んだったとか。大正生まれのご婦人がおばあさんからのまた聞きをさらにまた聞きした。東海道の海側は今よりずっと海側に広くせり出していたようだから、そこにいつも畳が干されていたようだ。製品として作るための畳、原料としてのヨシ以外に、近くにあった宿場の畳や布団なども日に干されていたのだろう。関西からの旅人はもうすぐ日本で1番厳しい新居の関所に向かう覚悟だろうし、江戸からの旅人はようやく新居の関所を通過した安堵を持って白須賀の宿に向かっただろう。「竜馬が行く」では、津波のあと、もっと山の上に宿場が引っ越したあとという設定で「境宿」の宿場をあとにして「汐見坂」(潮見坂)を降りる時、太平洋を眼下に見下ろしている。現代・・・広い休閑地に太陽電池が並ぶ場所もできつつある。(場所は東海道ではないが)売電と自家使用にお金にゆとりがあれば、そういう選択肢もイイかも?