ivataxiの日記

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浜名川

浜名湖はもっと小さくて山側にある淡水湖だった。最初は海へは現在の弁天島付近に流れて出ていたのだとか。「今切れ」は「今切れた」という口語から出た地名のようだが、津波で陸が切れて浜名湖が現在に近い形にまで巨大化した、その今切辺りが最初の浜名湖から海に通づる川の跡だったのではないだろうか?津波により江戸時代の関所は陸から海上の関所となり、場所も流されたりして移転改築されたようだ。その頃浜名川は、現在の大倉戸辺りに流れて、大きな橋がかかって東海道のルートとなっていたという口伝もある。川にかかる橋の端を橋本と呼んだそうで、さらなる津波でその浜名川の海側の平地はごっそり海中に沈んでしまい、現在の遠州灘の海岸は浜名川の陸側の一方だったのだとか。海中には当時の生活の食器なども見つかるようで「ウド」と呼ばれる引き波がある所以とも通じるのかも知れない。大倉戸はもっと山側に東海道が残り、松並木が有名であるが、山肌は津波にえぐられた形に残っている。東海道の宿場も汐見坂を登り切った「境宿」へ移動したようだ。新居の関所もさらに新たに現在の形に改修された。改修時期が他の関所よりも新しかったことや、ルートとして重要なポイントだったことから、明治の大政奉還の「関所の取り壊し」の命令が出ていたのに取り壊しが遅れた。明治には静岡県は3つの県に分けられていたのがやがて2つになる。その頃に少しゆとりが出たのだろう「この関所は保存しなければ」と気付いたようで、現存する唯一の関所となった新居の関所である。