ivataxiの日記

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境川

随分昔は、東海道の白須賀の宿は遠州灘に近い平地辺りだったという。宿場町で多くの人が泊まるにぎやかな風景の日中は、良く畳が干してあったという。そして畳の関連業種が流行っていた。山を越えて畳の原材料の「よし」は「よし津村」辺りから運ばれたようだ。大きな津波が江戸時代にも来た。内陸の浜名湖が外海と繋がった。遠州灘近くの白須賀の宿は大きな打撃を受けたはずだ。その辺りは地形が大きくえぐれたままだ。東海道の宿場町はそこから30メートル程高い場所に移された。そこは「境宿」という名前の地名で名残がある。ほんの少し西に進むと「境川」が流れ「一里山」はもう愛知県だ。