ivataxiの日記

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冨田勲さん

シンセサイザーというと「YMO」が持って行った感じもするが、それ以前に「冨田勲」さんがいた。大阪には17歳までいたが、16歳の春休みに近くのレストランでウエイターのバイトをした。洗い場・厨房の二人の浪人男子と良く彼らの家に行って遊んだ。たくさん小説を借りた。庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」「白鳥の歌なんか聞こえない」などを初めて知った。音楽はレコードをさすがに貸してはもらえず、その場で聞かせてもらった。「yes」なども初めて聞いた。当時は、演歌・歌謡曲が主だったから、新鮮だ。そんな中に日本人の変わった音楽を作る人も紹介してもらう。「ムーブ・シンセサイザー」という、当時はNHKとその人くらいしか所有していなかったような話。様々な音を作る機械を駆使してクラッシック音楽なども怪しい仕上がりにしてしまう。その人が「冨田勲」さん。のちに良くNHKなどの「シルクロード」とかの効果音・バックグラウンド音楽などを手がけて、当時はそのジャンルを席巻していたのだと思う。そんな巨星が逝く。