ivataxiの日記

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ミツビシ

現在二台ある軽自動車はダイハツだ。でも、最初に運転を練習したのは、会社の三菱デリカ1400ccだった。現在のワンボックスと比べるとかなり小さいが、当時は十分に大きく感じた。ハンドルの横にシフトがあり、慣れると目をつぶっても運転できるが、実際には目は開けて運転していた。広告が描かれた車体で、誰がつけたかwからない傷が全体にまんべんなく着いていたので多少、いやかなりこすっても誰も文句はいわない。いや、自分たちも着けた傷があるのだからいえるはずもない。こまわりも聞いて、座席の下のエンジンも体ごと振動が伝わって人馬一体(車だけど)感があった。大学時代は免許がなくて「三菱ミラージュ」で通学する同級生(二浪なので二つ下)が羨望。ゼミの先生がグループで所有している軽井沢のログハウスでの夏合宿では、乗せてもらえた。「キースジャレット」がかかっていて、吉田拓郎を普段聞いてる身分としては階級差に直面したのだ。cmはゴダイゴだったか、そういうのも時代だ。最初に買った自動車は軽自動車ダイハツのミラだが、途中、三菱ミニカ550cc時代もあった。2気筒360ccと3気筒660ccの狭間の550ccだ。角張った形の次の形で、角張った形が好きだったが、時代の流れで丸いのにした。1号線で後ろから居眠り運転のトラックに追突された。クニャっと、シートは曲がり体はベッドで寝ている形に。後ろの窓から眠っているトラックの運転手が見えた。腹筋で起き上がり、フルブレーキをかけたが、トラックの重さには軽自動車は勝てない。そのまま、前を走るワンボックスに追突の玉突き事故となる。前の車の弁償はぼくの保険を使ったが、釈然としない。事故が担当のトラックの人が「彼はしょっちゅう事故をする」という。こっちがグチを聞かされた。車は治ったが「前後が縮んだのは治らない」と修理の人に言われた。ただでも短い車体がさらに短くなった。マンガで、そういう誇張がある。そんな三菱の思い出。