ivataxiの日記

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涙もろい 乃木大将

子供時代、長男・次男が夭逝していて、乃木の家の跡継ぎとなった、乃木大将。泣き虫で妹にまで泣かされていたという。途中、学問や剣道などで体や精神は鍛えられた。戦争で相手軍に対する尊敬のある態度が、世界の他の国から賞賛された。(自国では、戦争が下手とかいわれ、自宅が投石されたりもした)戦略の勉強は休職のたびに農業のかたわら、あらゆる戦術書を学んだようだ。(古い常套手段にこだわらなかったことが、のちに反論する文学作品であつかわれた)初期の戦術も「正面突破」にこだわり、他の将校に負けを取るシュミレーションもあったという。戦闘員が少ないのに、あくまで正面から前線を押し進め、相手国に「かなり戦闘員が多い」と、信じ込ませた。また、「だんごう」を掘って、隠れながら攻撃する方法は、後の第一次世界大戦で取り入れられたという。(空軍ができる以前の話)相手国に対しても、涙ながらに書面を読んだ時、言葉がわからなくても心を打たれたという逸話がある。「乃木将軍のために、命をささげたくない奴は一人も居ない」「死に際に彼に抱かれたい」と、当時の戦闘員は思ったと生き残った人も語ったという。(第二次世界大戦以降、軍国主義アメリカによる民主主義へと変わり、この考え方も今では理解できない可能性も高い)。学習院の院長への就任は、昭和天皇を含む、後の皇族たちの教育を一任できる人格者と、明治天皇が認めていたからだろう。でも、良く壇上で涙することもあり、子供時代からの泣き虫が大人になっても涙もろさに通じるのかも知れない。
(ウイキ調べ)