ivataxiの日記

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柿本城址3

井伊家15代当主の井伊直盛(直虎の父)が、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで亡くなると、養子(従弟)の井伊直親が、16代当主となったが、直親の母親が、鈴木長門重勝の女(むすめ)であったことから、井伊家を支えるために、山吉田家・鈴木家が奔走したことが推測される。元亀3年(1572)10月、家康と盟約が破れた武田信玄は、2万5千の兵を率いて、遠江攻略に出陣、三河に進出してきた武田軍のうち、山県昌景の5千の兵は、井伊谷方面に出るため、作手の奥平、田峰の菅沼、長篠の菅沼の山家三方集の道案内で、500ばかりの兵が守る柿本城に押し寄せた。
鳳来寺山・資料・看板より)