ivataxiの日記

絵 文章 映画

アトムなワタシ

もし運動会の綱引きで、今日、肩を脱臼していなかったなら、こんなことにはならなかったはずだ。ぼくは今日まで、自分を単なる普通の子供だと思っていたのだから。病院でレントゲンを撮った。脱臼した肩は、骨ではなくすごーく精密そうな機械が写っていたのだった。ぼくの体の中には、ビッシリと機械が詰まっているようなのだった。ぼくの体の100%が、機械だったことを、初めて知って驚いた。「道理で脱臼しても痛くない訳だ」なーんて関心している場合じゃぁないんだ。そう。そういえば、ぼくには生まれてからの記憶も思い出もなかったなぁ。一番新しい記憶といえば、中学からのものだった。いても立ってもいられずに、その病院から出たぼくは、家まで飛んで帰ったのだった。そう「飛んで」というのは「急いで」とか「まるで鳥のように羽ばたいて」とかのではなく、文字通り「そぉらぁを、飛ぉんでぇ~ラララ・・・」なのである。もぉ、こぉなったらヤケだ、くのぉ、いちいち細かいことなんていってらんないのだ。たったの一日で、物事がすごーくややこしい方向に激変して行く。一気にめまぐるしく色んなことがたくさん起こっているのだから、普通の人間なら、こんな時、錯乱して気が狂っちゃうかも知れない。だけどぼくは、どうやらロボットらしかったから、最新型の電子頭脳は少しも異常な考えを起こさないように設計されているらしい。「おかあさん、ただいま」と、ぼくはジェット噴射で庭に降り立ち、ドアを開けながらいった。気のせいなのか、いつもよりもずっと、おかあさんは無表情にこちらを見たみたいだった。だけど、ぼくは思いきって聞いてみた。「本当はロボットだったんだね。ぼくは・・」それを聞いて、おかあさんは、ぼくを見たまま微動だにしなかった。困難な思考を求められた時に、古い設計の電子頭脳が急激に答えを出そうとしてショート寸前になっている、という様子であった。少し頭部から煙りを出しながら、あきらめたように、おかあさんは説明を始めた。「そう。そうかい。とうとうわかっちゃったんだね」「二十二世紀になってからというもの、どうした訳か人類には子どもが生まれにくくなってね。それに、ロボットなら好きなタイプの子どもが選べるんだよ」そういうと、おかあさんはクルクルと首を回してはずして、こわきにかかえたのだった。おかあさんの腕にかかえられた、おかあさんの顔はニッコリと笑っていた。「もう、こんなんだったら、ぼくはグレて不良になってやるぞぉ」なんてこんな時、もしも人間だったら思ったかも知れなかった。でもロボットの電子頭脳は、そういう人間にとって不都合な考えが起きないように、初めからはずしてあるらしい。すでにぼくは、妙に納得して冷静に受け止めていた。それだけでなく、人間の都合でこの世に生み出された、この「ロボットの母」と、ぼく自身が、なんだとても哀れに思えた。「もしかしたら。隣のタカ君やマイちゃんも、ロボットなの?」と聞くと、ぼくの電子頭脳に今度は直接、機械言語のデーターが、瞬時に母型ロボットから送られて来た。そう。もう、人間のふりをする必要もなくなったのだった。だから、機械同士としての接し方を選択してきたのだろう。今まで、本当の母親と思っていた。今まで、本当の子供と思っていた。そう思うと、この型の古い女の顔をしたロボットが少し哀れに思えた。もう、この家にいる理由なんかないのだから、ぼくは手と足の先からジェット噴射を出して、分厚い窓ガラスを頭で割って、星空に向かって飛びだしていた。たぶんもう、ここへは戻らないのだから。光の何倍ものスピードで、宇宙空間に向かって飛ぶ。もちろん、寒くもないし、息苦しくもない。景色は、水中を高速で移動しているみたいだ。水流が後ろに流れるみたいに見える。それさえ、もう今のぼくにとっては、まるで拡大された風景の写真を見てるみたいに、細部まではっきりと見ることができた。何者かに操られる吊り人形のように、突然飛び出してしまった星空の虚無の奥には、巨大な葉巻き型のUFOの母船が浮かんでいた。それを見ても恐れるという気持ちはなく、それよりもなんだか懐かしくて暖ったかいホクホクした気持ちになった。その母船は、なんだかぼくを受け入れてくれているみたいに、次第に入り口は開いて、また閉じた。そこには、あの鼻の大きな「お茶の水博士」が両手を広げてぼくを待っていたのだった。

おしまい