ivataxiの日記

絵 文章 映画

貫太郎のイメージ

向田邦子さんの実父のイメージで行きたい」のだが、小林亞星さんは、サイケ全盛の作曲家。あの体形だが「ロンゲ・サングラス」だったとか。プロデューサーの久世光彦さんは当時絶対存在。「坊主頭・黒縁メガネ・半纏を身に着け」ようやくGOサインだったそうだ。

樹木希林さん

樹木希林さんの葬儀」で、浅田美代子さんを見たのだが、彼女との共通のドラマ「寺内貫太郎一家」を忘れてはいけない。向田邦子さん作。当時は「悠木千帆」のクレジットの「樹木希林」さん。下町の石屋「寺内石材店」が舞台。音楽家/小林亜星さんは、向田さんの父性観に合うキャラだったようだ。
寺内貫太郎 小林亜星
おかみさん  加藤治子
他キャスト 悠木千帆(樹木希林)・西城秀樹浅田美代子
「ちゃぶ台がえし」が、巨人の星の「リアル編」で、よみがえる。現在の父親では無理かも?ちゃぶ台もないし。
樹木希林さん・加藤治子さん・西城秀樹さんも星空の上で再会。   

浅田美代子さん

久々に浅田美代子さんをテレビで見た。「樹木希林」さんの葬儀。本木さんはまるで「おくりびと」みたい。その少し後ろに、すっぴんの浅田美代子さんが写っていた。ほぼ同年代。街角でスカウトされて中退したそうだ。「しあわせの一番星」「じゃあまたね」という歌は忘れがたい。堺正章さんも当時ロンゲで若い。樹木希林さんは「結城千穂」という名前をオークションに出して、改名。「いじゃないいじゃないね~ね。いじゃないいじゃない、う」という、掛け声(歌?)で、堺正章さんと踊るシーン。
1973年 おかみさん時間ですよ「赤い風船」
1974年 寺内貫太郎一家
1975年 「なつかしき海の歌」で、吉田拓郎さんとウワサ
1977年 結婚引退
1983年 離婚

天然 と、よく表現される。天分だろうか?

サーファー 2

すごく大きな波が来たら、波に対して横を向いてはいけない。まっすぐボードを立ち向かわせる。波に舳先を突き立てて、下に向け足でキックして、波の立ち上がりの中をくぐって、波の向こうに出る。311の時も、小型船が、大きな津波に向かって行った。波がしらでエンジンを一旦ストップ。方向転換で港に舳先を向け、エンジン再始動という動画を見た。「あんな無茶は二度とやりたくない」という、その船乗り。やらなかったら、船も自分もどうなっていただろう。そんな腕前は誰でも持っている訳でもないが。

サーファー 1

波が来ても、立ち上がらなかったら、いつまでたってもボードにしがみついたまま。今の自分が、ちょっとできそうもない波に立ち向かって行くと、段々、大きな波を見て「やってみよう」とおもえるようになる。

山の上からタオルを振る

塩見坂という高低差のある坂道が「旧東海道」にはある。上りと下りで「汐見」と「潮見」の漢字が違う。(どっちがどっち?)現在は、海岸沿いにバイパスが東西・海岸とどこまでも平行に走る。以前は有名だった「地引網漁法」は、いつしか伝説。テレビの天気予報で、漁師は漁に出るかどうかを決めるのだろうか?最近のコンピューターはすごい進化で、特に天気予報には関係が深い。でも、ある山の上から一人の人間が見て決めるのだとか。漁師の長老のような存在で「山の上からタオルを振る」のだとか。その振り方で、漁へ行くかどうかを決める伝達方法。科学万能の時代なのだが、この領域は人力なのだ。