ivataxiの日記

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テレビ 大型ドローン

テレビで「山間部などに物資を30kg運べるドローン」の実証実験を見た。途中にルートにあたる地権者にはなにがしかのお金を支払う。今の日本では空を飛ぶということは大変なこと。電波は、携帯などの様々な電波を使えばドローンの操作ができるようだ。今は実験なので「鮮魚」などを試しに届ける程度だが、うまくいけば可能性も広がる。山間部に住んで免許を返納した世帯には現実に不便が起きている。山間部で病人が出れば、ヘリを呼ぶしかない。ワインディングロードをクルマで急ぐと二次災害が起きるだろう。ただ、ドローンが途中故障しないとも限らない。実際に運航されれば、今後問題もはっきりするだろうが。

テレビ 赤い帽子

テレビ。戦前の日本。学生だった頃、学校の美術の授業で「ありのままの日常を描く」というので「話す人」という、学生同士が討論するようすを描いた人が、警察に逮捕された。その絵の中の本が、当時危険思想である本だというのだ。もちろんそうではないが、自白しないと殴られて自白。投獄されたという。怒って「赤い帽子をかぶった自画像」を描いた。赤は当時「共産国」を意味するから、戦中にはそうとうな反抗。年老いた本人が語っていたから、命は助かったようだが。今の日本もどこか似ている。

テレビ ホンダ 浅木さん

テレビに「ホンダF1優勝」の番組。黄金期を知るエンジニアが深くかかわったという。浅木というエンジニアの方。「NBOX」開発で成功した、といえばナルホド。「軽自動車もレーシングカーも、企画が厳密に決まっている中で成果を出すことが似ている」という。大切なのは「成功体験」を若いエンジニアに体験させることだという。浅木さんがかかわったF1は海外の有名レーシングチームに真っ向から戦って勝って来たという成功体験がある。それがものつくりに大切なのだとか。

 

ホンダ・エンジニアの浅木さんは「従順なエンジニアは助かるが、上司のいうことを聞かず、ぶつかり合うような個性がうまく同じ方向を目指した時には、倍も働く」という。本人もそういうタイプなのか?若いエンジニアは「ボルトを一本も使わないエンジンを作れとか、無茶なことをいってくる。でも、本気でいっている」と、日常を語る。

宇野高松フェリー終了

宇野高松フェリー終了

大阪で生まれたが両親は香川の人。お墓や親戚が多いのでよく、香川へ行く機会があった。「瀬戸大橋」以前は、フェリー。神戸「青木(おうぎ)」から高松。1995阪神淡路大震災以降船着場が壊れて閉鎖。泉佐野から淡路島への航路は一度使った。以来、フェリーは使わず、電車で四国に渡ってレンタカー。そういう人が多いからなのか、瀬戸大橋以降、フェリー客は激減。さらに「鳴門大橋」もできた。時代の流れ。ひとことでは言いあらあわせない昭和世代。

12月12日は「コールドムーン」

12月12日は「コールドムーン」

もうすぎた話。「12/12はコールドムーン」と呼ばれたようだ。何もない空にただ明るく大きくまん丸なお月様。空が晴れて寒いからか?令和元年最後の満月という意味で記念らしい。13日の夜は満月が少し欠けてはいたが、十分に満足な月。空に上れば気にならないが、地上から登るときには、大きくて黒ずんだ赤。「13日の金曜日だからなのか?」と、内心言葉を呑む。一方、明け方と夕日は、負けないくらいに空を赤く染めていた。まだ、つきがしっかり沈む前から反対側の空を赤く染める。対抗意識。もう、何もなしとげてはいないのに「来年は・・」と、次の目標をたてる毎度。

ぬれ落ち葉

ぬれ落ち葉

昨日は雨。夏の雨とは違う、冷たい雨。落ち葉がぬれる。「ぬれ落ち葉」は、定年後のだんなが家で奥さんにまとわりつく様だとか。胸が痛む。自動車に乗る75歳以上の人は「シルバーマーク(四つ葉)」を貼るのだが、以前は「紅葉マーク」だった。紅葉はいかにも高齢者っぽくて、当時の高齢者たちは団塊世代で世間での圧力が政権を揺るがして、紅葉から四つ葉にマークを変えさせた実績。でも、昨日は「紅葉マーク」を貼っているクルマがあった。しかも。磁石で張り付かないはずのガラスに。「おかしいな」と、よく見たら、本当の落ち葉だった。浜松だから「プラタナス」的な落ち葉だろうか。家でも自立して奥さんにうとまれない「ぬれ落ち葉」でありたいものだが。

ラジオ 有坂翔太さん

中村メイコさんのラジオ。男性料理人らしいゲスト。ぼくは知らなかったが「有坂翔太さん」というらしい。「おいしいカップヌードルを作りたい」というのが料理の始まりで、今もそれは変わらないようだ。母はほぼ小麦粉ばかりのお好み焼きを作ってくれるような家庭。友達とお弁当交換で「こんなおいしい卵焼きがあるんだ?」と知ったという。給食がとても楽しみだったようだ。背が高かったが軟式テニスだったのでプロいはなれず、何か手に職をつけないとというので、美容師が料理人になる目標。で、料理人を目指す。専門学校で学びつつ、バイトで和食や中華も働きながら学ぶ。結局一番遠かった関心事であるフレンチが残った。そのビジュアルに心を打たれて、卒業後フレンチの修行。なんだかんだでフレンチ界で頭角を現した。給食を残す子供たちに、どうすれば給食を残さないかというプロジェクト。成功した現在も「ぼくの作った美味しいカップ麺がコンビニに並ぶのが夢」と、どこまでも控えめな男性。