ivataxiの日記

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スタンド・バイト

2001年2月から10月という期間限定でガソリンスタンドのバイトをした。最初は「日石」だったのに、途中から「エネオス」に会社が変わり、看板を付け替えたり、ペンキを塗りなおしたりした。ぼくは10月までという期間限定だったので、ぼくだけ日石のジャンパーと帽子を着けていた。他のメンバーはエネオスのユニフォームだった。辞めたバイトのお下がりだったから、元々よごて汚れていたが、さらに汚れてしまった。でも、どうせ捨ててしまう予定だから雇う側は気にしていなかった。時給は「680円」。きっと県の最低賃金以下だったと思う。近所に初めて「セルフスタンド」ができて、そのバイト先のスタンドは閉店するのだが。
いいことは「洗車の拭き上げができるようになった」ということ。特に窓拭きはたくさんやった。何しろやっても時給はあがないから誰もやりたがらない。しかも「おい、傷つけただろ」と、修理代を要求されたケースがあり、以来、窓拭きはぼくの担当。足が遅いから、いいお客さんの時も、遅れてしまい、洗車料金はいただけず、後の拭き上げだけ無償でやる。要領が悪い。
「洗車ビデオ」というのを一回だけ見た。日石の作ったビデオだから、エネオス版は見ていない。やり方はこれが基礎になっている。以後、何度も自分のクルマを洗車するが、この技術はとても役立っていると思う。

教習所

自動車教習


教官「あんまり前の車にちかづくな。前を開けろ」
生徒「こうですか?」
教官「いや、オレのズボンの前じゃなくて。  でも、決してイヤじゃないが」
生徒「ここから先は、ワタシの方が教習したします」
教官「はい、お願いします。ハンコくださいね」

レンタル ステルス

レンタル ステルス
2005年の映画「ステルス」。「F35を100機以上日本が買い、F15を80機ほどアメリカが買う」というのが、なんだか良くわからないので「ステルス機」についてレンタルDVDでお勉強。2005年のステルス機がどれほどの性能なのかはわからないが、近未来SFの設定。「AI」が独立制御のステルスが人間の乗る古いステルス機3台と一緒に行動する。監督は「ロブ・コーエンワイルド・スピード)」ウイキ調べでは、ネタバレ満載。よかったら覗いてみては。「2001年宇宙の旅」のハル(HAL)と似た雰囲気だが、少し人間よりの感情。

ラガービール

 

ラガービール
ここ静岡県ラグビー大会予定地の一つ。人がたくさんやって来る ハズ。ラジオで「ラグビー大会開催地ではビールの消費量がハンパない」と聞いた。佐賀の話を取り上げていたのだが、市ではビール担当の部署も立ち上げたようだ。なにしろ、ラグビー観戦は、まず、ビールを飲んでから行く。ビールを飲みながら見る。後でまたビールを飲みに行くという。「佐賀は焼酎も日本酒もおいしいからどうぞ」 そういう問題でもない。一人あたりの消費も常人のレベルを超えているそうだ。開催国でビール不足に陥ったこともあり、ネットで拡散されても困る。日本の昭和ビール全盛時代の大型ビールジョッキは、西洋人の長靴そのものの大きさだったが、今はない。昭和でいう「中ジョッキ」が令和の「大ジョッキ」なのだという。佐賀では一回り大きなジョッキを考えているという(ジョッキが大きければ運ぶ回数が少なくなるという考え)。英語がわかるスタッフと、開催期間中の人員増員なども。
昭和中期の生まれなので「最初はビール」世代。「ビールはキリンでしょ」「いや、サッポロもなかなか」「イエビスは別物」など、ウンチク、酔えばわからない。若い世代は「第三のビール世代」。「おれはビンしか信じない」一人酒。でも「なんでラガービール?」とは感じたが気にせず酔ってムダに泡のような長い時間と大枚を夜と酒場に置いて来た。ビンビールのような黒くて太い腕でビールを飲むラグビー選手・OBたち、いわゆる「ラガーマン」の「ラガー」なのかも知れない。そういえば、流線型の玉の行方が誰にもわからないみたいな酔い方をする。さあ、静岡のビール 全部たいらげて行ってもらいますぜ、世界のラガーマンたちよ。浜松ギョウザもね。

 

デセール

デセール
新居のお菓子屋さんで作る「でせーる」。半球が二つ重なって、ボールみたいな形。中間にクリームがはさまっている。そばぼーろみたいな色。一つでけっこうおなかが膨れた。​

 

ワックスの朝

 

ワックスの朝
一年点検で、軽自動車が戻って来た。「ヘッドライトが雲っている」件、磨いて綺麗にしてくれた。良かった。そしたら他が気になりだした。朝、ワックスをかけた。水性ワックス。あまり綺麗にはならなかったが、自己満足。

 

1991年 香港

 

1991年 香港
1991年に香港に行った。(現在はもうパスポートさえもっていない)当時、化粧品店をやっていて、メーカーの旅行だった。ガイドの女性がバスの中で「香港は1997年に中国本土に返還されます。私は歴史の証人としてその事態を見守りたい」と、語っていた。当時の日本はバブルが崩壊最中だったが、まだ腰がうわついた感じで、彼女の真剣な心を腹で受け止めるまでにはなっていなかった。老人には日本語が通じたが、若者には日本語は通じなかった。日本人とほとんど同じ顔なのに。
1997年、香港は中国に返還された。一国二制度の始まりだ。最近、台湾で犯罪を犯した人が香港に逃げ込んだ。これを返せということからおかしなことが露呈。台湾も中国と微妙な関係。台湾に犯罪者を帰すということは、中国本土にも同じことが適用されるという論理の高度なすりかえ。香港の司法は認めようとしているが、市民はこれに反対。けが人も多く出ている。日本語がわかる香港人がネットで日本人にも理解を求める。1991年の平和な香港の景色しか知らないが、時代は変わりつつある。