ivataxiの日記

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鳳来山 本長篠合戦

鳳来山 本長篠合戦

先日、本長篠鳳来寺方面に行った。他の人の運転に同乗しただけだから付和雷同。歴史も知らないで、頻繁に田峰観音に水をくみに行っていたから、本長篠も鳳来山も近くを通過していた。1995年にオウム事件があり「きれいな水を飲む」ことが、彼らの習慣に似たところがあると感じ、水くみにもいかなくなった。まだ、開館前だったので景色を眺めるだけだった長篠城。この近辺が武田軍と織田・徳川軍の合戦場になった訳がわからない。
鳳来山の資料館はちょうど開館時間だったので、見ることができた。「津具金山」を武田信玄の頃、発見した話が載っていた。当時は砂金。この入り口が本長篠近辺。もしかしたら、この合戦の場所は偶然ではなくて、金山の権力闘争だったのかも?昭和まで「田口線」という、軽便鉄道が金山付近を走ったが、今は廃線。愛知県の自然保護対象区となり「石などを持ち帰ることは犯罪」ということに。
権力が、武田から織田・徳川へ移り、明治以降は政府の所蔵。

ニホンカモシカ

capricornis crisupus
日本れい羊
全身灰黒色で、円錐状の後方に屈曲した特有の角がある。体高は60~70cmくらいである。断崖絶壁の人が近寄れない岩場を軽快に歩く。食性は主として草食であるが、樹葉も食べる。オス・メスは見分けにくいが、放尿スタイルでわかる。ちょっと腰を下げただけが、オス。地面スレスレに腰を落とすのがメスである。
鳳来寺山・資料・看板より)

ニホンイノシシ

japanese wild boar sus scrofa leucomystax
日本猪
黒褐色の毛で短い牙を持ち、脚が短いのが特徴。体重は100kg以上にもなる。子供は黒色もしくは淡褐色で、白い縞模様があり、ウリのようなので「ウリ坊」と呼ばれる。
森林やその周辺にオスは単独、メスは母子のグループで暮らしている。体温を下げたり、寄生虫を防ぐために湿地に穴を掘って泥浴びをする。
これを「ぬたうつ」といい、泥浴び場を「ぬた場」という。雑食性で草木・果実だけでなく、昆虫や爬虫類も食べる。全国的に農作物に多大な被害を与えている。
鳳来寺山・資料・看板より)

豊川水系 ギギ科

豊川には、古くから「アカザ」「ネコギギ」の2種類のギギ科魚類が生息していました。しかし、釣り人から「ホウライザメ」と呼ばれる「ハゲギギ」が鳳来湖周辺で見られるようになりました。「ハゲギギ」は、この地方のような伊勢・三河湾に注ぐ河川では生息せず、琵琶湖を中心に静岡以西の本州・四国の瀬戸内海側・九州東部に分布する魚でした。放流するためのアユの種苗に混入したり、天竜川水系の水路を伝わってきたりして、宇連川でも見られるようになったと考えられています。「アカザ」は全身が燈赤色で、胸ビレや背ビレのトゲに毒液を持っている魚で、刺されるとかなり痛みを生じます。夜行性で石の下に潜み、水生昆虫などを好んで食べます。「ハゲギギ」(単にギギとも呼ばれる)は、「ネコギギ」「アカザ」が体長10cm以下であるのに対し20cm近くまで成長します。夜行性でエビや小魚・水生昆虫を食べること、尾ビレが深く二又に分かれていることなども特徴です。
鳳来寺山・資料・看板より)

ネコギギ

ネコギギは愛知県の各川から、三重県五十鈴川に至る伊勢湾に注ぐ河川の上流にたくさん生息していましたが、水質汚染やダム建設により、その自然環境は悪化し著しく減少しています。この魚の絶滅を防ぐため、昭和52年7月2日から、国の天然記念物に指定して保護を図っています。
鳳来寺山・資料・看板より)

鳳来寺山できかた2

三河高原が隆起をはじめ、その後も地殻変動を繰り返して、渥美半島の地層や扇状地・段丘を作りました。約1500万年前。設楽火山の激しい活動がありました。1300万年前には、大地の割れ目からマグマが上昇し、岩脈や岩床ができました。役1500万年前、日本海の拡大が終わる頃、フィリピン海プレートの北上で、伊豆小笠原弧の衝突が始まりました。この頃、中央構造線沿いに、複数の活発な火山活動が起こりました。鳳来寺山付近の火山活動は、その北端にあたります。
1900万年ほど前、日本海の拡大が始まりました。日本の中部で折れ曲がり、西南側は時計回りに押し出されました。約1800万年前の東三河は、海が広がっていました。
鳳来寺山・資料・看板より)

鳳来寺山 できかた1

ユーラシア大陸の東の端だった部分が、一旦、東にはがれた時期があり、それが、ハワイ方面からの下にもぐるプレートにより、今の日本の基本の形まで押し戻したようです。約1億年前、海洋プレートの沈み込みで、地下15~30kmの深さまで押し込められた地層は、高圧の変成作用を受けました。一方、大陸側のプレートの地下深くでは、マグマができ、上昇してきたマグマの熱で周囲の岩石が高温変成を受けました。
2億年ほど前、深海に堆積してできた泥岩や石灰岩・チャートなどは、海洋プレートに乗っては運ばれ、当時のアジア大陸東縁部で沈みながら大陸側のプレートの縁に付け加わっていきました。
鳳来寺山・資料・看板より)