ivataxiの日記

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バットマンは、ナゼだかジョーカーを殺さない

今回のバットマンで、ジョーカーを本気で殺せる場面が二回はあった。だが、バットマンは、ナゼだかジョーカーを殺さない。・・いや、殺せないという感じ。悪玉の権化であるジョーカーを、善玉の象徴であるバットマンがやっつけられないのが、不思議といえば不思議。バットマンは、生身の人間で、スーパーマンウルトラマンとは生い立ちが違う。スパイダーマンの方が少し近いが、スパイダーマンも遺伝子組み換えで、超人の部類だから、やはり違う。バットマンは、幼少時に、目の前でさしたる理由もなく「若い頃のジョーカー」に、両親を殺された。幸い、両親の残した莫大な財産でお金には苦労がない。暗い井戸で、恐怖を味わい、その恐怖を「悪人たちにもおみまいしてやる」という、コンセプトで、あのバットマン・スーツ(今回は首が少し曲がる)も生まれた。バットマンが善人を演じるために「心の闇の深い部分に、鍵をかけて、決して見ないようにしている、もう一人の悪玉になりかねない自分」という物を、悪玉「ジョーカー」の中に見るのかも知れない。自分自身を見るから、どうしても殺せないのでは?まったく、推測に域だが。逆に、ジョーカーも何度か、バットマンを殺せただろう。だが、殺さない。主人公だから殺さない・・という大前提とは別に、動かすことのできないキャラクター設定なのではないかと思う。そこを、監督・脚本のクリスチャン・ベールが「これでもか?!」という感じにエグル・エグル・・。「本当に怖いのは、形としての人間ではなく、誰の心にも住む・・自覚できない人の心の闇なのかも知れない」そんな風にも思えた。