ivataxiの日記

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本田宗一郎 空白の時間

本田宗一郎 空白の時間

「アート商会浜松支店」は、修理工場なので「物造りがしたい」という本田宗一郎さんには何かが違ったのだろう。「タイヤと軸をつなぐスポーク」を発明したり、わずかな資金・空間でも作れる「ピストンリング」などの特許製造で儲けはあったはず。非公開だが、終戦間近に東海地区で地震があり、工場建屋が崩壊。ピストンリングの権利ごと売却して、終戦を迎え、一時「人間宣言」を出して、仕事は一切しない時期があったようだ。「軍国主義アメリGHQにより、民主主義へ移行する中、何をやればいいのかがわかるまでは動かない」と、決めたという。何しろ、人のためになるものを作るというポリシーがある。ドサクサ紛れに作った物が「反社会的」な物になる可能性のある時期は黙って待つに徹したようだ。でも「アイスクリームを作る機械」など、本業以外には発明もしたようだ。戦後、不要になった陸軍払い下げの小型エンジンを見て「自転車につけたら?」という発想。湯たんぽをタンクにして「ポンポン(音がポンポンというから)」というバイクを作る。これは大ヒットで、しかも人々が生活で必要とした物だった。ポリシーの「悪いことにつながるものは作らない」ということもクリア。自動車に打って出るまではバイクのホンダで有名になったようだ。