ivataxiの日記

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もも

絶対にはけないと思ってとってあったズボンがはけた。リクルート時代のはもうないが、その少し後に無理して作ったズボンだ。浜松は、西武デパートが君臨した時代。買う人が「ごめんやっしゃ」と、頭を下げて買わせてもらった頃。デパートが他にも、まつびし、まるい、えんてつ(これは移転して今も盛大に存続)などもあった。「サゴー」を中心に「モール街」がファッションの発信地で、この辺りを歩くと若い男女は少しかっこ良く見えたが、それは錯覚だったのかも知れない。人が集まり、ファッションの発信源たる通りには、もちろん食文化も盛んな訳だ。サゴーの地下街で買い食いした学生たちも家庭を持っているはずだ。サゴーは今は、えんてつの配下。まつびしは更地。西武はザザシティーと化した。まるいの跡地はどんどん持ち主が変わる。角のヤマハは頑張って時代の変化に微妙にリンクして生き残っている。そうそう、ズボンの話。中学・高校では運動部で当時は「ウサギ跳び」などふとももが太く足が短くなる運動が盛んだった。今では禁止。そういえば、練習中に水を飲んではいけなかったが、今では水ではなくスポーツ飲料が勧められる。スポーツも時代が変わった。そうそう、ズボンの話。高校の頃は「悲しきベルボトム」という、砂時計みたいにヒザのくびれを強調したジーンズが流行ったことがあった。フトモモとフクラハギの細長い男女が似合って、ポイントをかせいだ。運動部バリバリ体型ニキビ面暑苦しい系には悲しみ以外言葉が見当たらないズボンだった。ウエストは58cmでフトモモも58cmだった。今では、ウエストは85cmだったりするから、やはり時代は変わる。だが、フトモモがやせてしまった。ここ半年のリタイヤ期間の運動不足自宅こもりきり生活がフトモモを細モモに変えてしまった。良かったことが一つだけ。そうそう、以前デパートで無理をして作ったいくつかのズボンがはけるようになったこと。