ivataxiの日記

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乃木大将は自害をいさめられていた

戦争で多くの部下を失い、乃木大将は日本に帰りたくなかったそうだ。日本で英雄として登壇した際にも「ワタシはあなたがたのご子息の多くを死なせた者です」と、涙に言葉をつまらせて立ち尽くしたという。明治天皇に(天皇に直接面談できるということは当時マレな立場の国民)「死んでおわびしたい」というと「今ではなく、ワタシ(朕)が死んでからにして欲しい」と、いわれたという。実際、明治天皇崩御され、学習院院長時代だった乃木大将は、教え子の昭和天皇(ひろひと)に「乃木院長はどこへ行かれるのですか?」と、聞かれたという。読むべき本を、後の皇族たちに示し、明治天皇への約束通り、後を追う形の自害。(このことは、後に肯定派・否定派があり)すでに子供たちは戦地や夭逝で、乃木家を継ぐ者もなかった。遺書では、妻は自分が先立った後も残ると、思われていたが、妻も乃木将軍の後を追った。
(ウイキ調べ)