ivataxiの日記

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エラ・フィッツ・ジェラルド

エラ・フィッツ・ジェラルド

アームストロングとエラのコンビでの歌は、完成した琥珀の味。さぞ、幸せな人生だったのだろうか?
内縁だった両親の離婚。新しい父と義理の妹。孤児院へも入れられたり、売春宿の下働きなど、過去は隔世の感がある。1934年、ニューヨーク・アポロシアターでのダンスパーティー。コンテストではダンスを披露するはずだったのだが、直前のダンスに翻弄されて彼女は歌を歌ったそうだ。「コニー・ボズウエル」という当時流行だった人のスタイルだったとか?ダンスコンテストに歌で彼女は優勝。以後、歌の道が彼女を明るい外の世界にひきずり出した。
最初のダンナは犯罪に手を染め離婚。二度目のレイ・ブラウンとの間には子供はなく、エラの義理の妹の子供を養子養育。「レイ・ブラウン・ジュニア」と、名づけた。そして離婚。糖尿病で亡くなる。 と、派手なステージとは違う舞台裏だったようだ。