2019-01-22から1日間の記事一覧
20
その時のぼくは十五才で、中学から高校へ移行するほんの少しの踊り場みたいなひとときを、ひなたぼっこをするみたに過ごしていたのだった。ぼくは大阪の団地の上の階に住んでいたカッちゃんと、能登半島へ旅行することになった。甲子園でコーラ売りのバイト…
19
それは日本がまだ「バブル」と呼ばれていた頃のこと。小倉駅に降りたのは、その時が初めてであった。その日の夕方、小倉のある人のお宅でフグをご馳走してくれるというので、わざわざ静岡からやってきた。彼は「若ダンナ」という言葉が似合いそうな男である…
18
ごみの日ぼくが住んでいるこの辺りでは、月・水・木曜日は誰が何といおうとごみの日なのである。土日は週末だから考えに入れないとしてもウイークデーが五日あり、そのうちの半分以上がごみの日だということになる。駅前の立地からスーパーマーケット近くに…
17
ここ数年というもの、何度か懐かしの日本への上陸を試みたのだが、瀬戸内海では「阪神淡路大震災」、日本海と東京湾では「重油流出事故」のために、彼は日本への上陸を見合わせていたのである。すでに壊滅してしまった都市では壊し甲斐がないし、顔や体が油…
16
湖西市の図書館と消防署の間を流れる川に沿って、自転車を走らせることがある。ここも以前は自然の川だった。どうした理由かは知らないのだが、いつしかコンクリートの人工的な川となった。その当時は「自然破壊」なのでは?と、疑問にも思った。川の底は平…
15
コタツの上にはいつでも大きなクリスタルの灰皿があった。親父はヘビースモーカーだった。いつも家には缶ピー(缶入りピース)が買い置きしてあった。団地でつつましい生活の割には豪華なタバコ環境であった。親父はお酒を飲めなかったから余計にタバコに走…
14
ここは海辺。暖かい波打ち際である。波が寄せては返して行く。いつまでも、いつまでも。そこには、波に打ち上げられ取り残されてしまった「くらげ」が一匹いた。くらげは、次第に遠のいてゆく波を、恨めしく感じていた。陸の上にあっては、自分の力だけでは…
13
ゆっくりと飛ぶ鳥の背中に捕まって、空から見下ろすとわかるのだろうが、陸からではおそらくわからないだろう。陸から見ると単に、川に生い茂った葦がところどころ群生しているだけのようにしか見えない。それは海くらいもある広い川のようにしか思えないだ…
12
冬は寒いので、外をほうきで掃こうなんて気にもならない。というか、ただの掃除嫌いで、だらしないだけなのだが、春になり暖かくなると、いつもはしない外の掃除でもやってみようかと思うこともある。柄の短いほうきで、腰をかがめて外をはく姿は、ふけて見…
11
水槽の中には、人間たちから見れば「活きの良い魚たち」が泳いでいる。ここは「いけす」という、水槽である。「魚をその場で料理するのを見せて食べさせる」という趣向の店内の一角なのである。そのいけすの端には、透明ですべすべした平たい容器に入れて、…
10
オラは変わり者だってみんながそういうんだ。オラは走ったり、みんなと遊んでいるよりは、一人で考えごとをしたり、ボーッとしているのが好きなんだ。オラはヨガのポーズで哲学するんだ。だけどみんなはバカだっていうんだ。テレビが気に入っていて、寝なが…
9
ぼくは静岡県西部に住んでいる。漁港が近く新鮮でお魚の美味しい所だ。おさかなの料理の骨も、割と苦にはならない。そんなぼくだが、最初からおさかなを食べるのが好きだったのではない。17歳まで暮らした大阪では、おさかな料理には関心がなく、食べ方も下…
8
今ぼくが使っているのは、両刃のヒゲソリである。フェザーとかシックとかウイルキンソンとかの、昔からある長四角で長い二つの平行する辺がヒゲソリの歯になっているものである。いたって旧式なもので、今みたいなカートリッジ形式の使い捨てではない。中学…
7
17歳まで過ごした大阪では「今日はウナギやで」と、母がいう日には「アナゴ」が出て来た。そのアナゴを当時のぼくは本気でウナギと思い込んでいたフシがある。初め湖西市でウナギを御馳走になった時に「大阪のウナギとは違う味だなぁ」と、漠然と感じていた…
6
キリギリスが怠け者だっていうことは、みんな知っていました。でも、生まれつきビジュアル系の顔立ちで、身のなしも上品で洗練されていました。それに、お洒落のセンスもダンスもだれにも負けません。特に声がきれいで、作曲と演奏の才能がありました。そん…